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文集「3文日記」のあとがきより

この文集は、作者である木次中学校の平成十三年度一年生との約束に拠って作った。約束といえば聞こえはいいが、実際は、彼らに冬休みの宿題として「三文日記」を課す際に、「文集を作るぞ。」と一方的に言い渡しただけである。これは、策のない教師(久村)がよく使う手だが、公刊する(=人の眼に触れる)ことで読み手を意識させたり、課題に熱心に取り組ませたりしようという、下世話な「圧力」である。しかし、無策の末に「圧力」をかけるのには、このような文章を書くという経験が、極めて貴重な言語経験となり、また生活経験となるに違いないという信念があるからでもある。しかし生徒たちは、そんな教師の小さな思惑などとは別の次元で、いつも「その気」になって、言葉を楽しんでいく。

稚拙ではあるがストレートな中学生の文章に接するとき、飾らない真実の心が見えて心震えることがある。だから、彼らの言葉は、瑞々しいこころに結ぶ露だと思うときがある。そんな言葉に出合った時、中学教師であること、とりわけ国語教師であることの幸せを感じる。

中学生の心に結ぶものは、混沌とした怒りであったり、悲しみであったり、喜びであったりする。そんな彼らの心を、陳腐な言葉に集約させたくはない。もっと、洗練された形で表現できたらと、日々考える。そして、多くは怒りや苛立ちに向けられる彼らのまっすぐな心を、もっと深く、根気よく見つめる力に高めたり、自然や自分を見つめる力に広げたりしたいと考える。

三文日記によって、そんな目論見の少しでも形となっていたらうれしい。

作品はすべて冬休みの課題から、一人一作品以上を選んだ。生徒たちの言葉の力は、未だ十分でないところがあるので、意図が伝わらない表現を修正した。つまり、作品の一部に対して、音楽における「編曲」にあたる作業を行った。しかし、それはあくまでも、中学教師として生身の中学生を見つめてきた経験から、作者の意を汲むという姿勢を保って行った。それは、何よりもこれら作品の命が、中学生の心の雫であるからだ。

2002年2月 病室にて

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